大学の入学式で声帯を失ったつんくさんのスクリーンを使った祝辞が話題になりましたね。
私もあの時、驚きで息をのんで画面にのめりこんでしまいました。
その短い間、いろいろな事が脳裏に浮かびました。
えっこの方、確か双子ちゃんの小さいのがいたはず・・・とか、この結論を出すまでどれだけ苦しまれたであろう気持ちを思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
ただ、1つひっかかったのが、学生達の様子です。
私と同じようにスクリーンを凝視して、つんくさんの表情と交互に見てしまう子
そして・・・テレビカメラの存在に気づいて 嬉しそうに両手を広げてアピールする子
なんで?なんでそうなる??
つんくさんの気持ちに寄り添う事は出来ない?魂を削ってあなたたちの為に一生懸命考えてくださったあの祝辞を一言一句目に焼き付けようとは思わないの?
と、いささかあきれてしまい、言葉を失いましたが、
よく考えたら仕方のない事かもしれませんね。
若い大学生たち。病気とか死 をまのあたりにしたことのない子は想像することが出来ないのも仕方ないかもしれない。
人間がこの世から消えてしまい、周りの家族の記憶から1番に去っていくのは、その人の生きていた頃の声だと聞いたことがあります。
つんくさんはまだまだ小さい子供達3人に、気持ちを伝える一番簡単なツールを失ったんです。
そして、癌という恐ろしい病はいつまた再発するかわからないという恐怖と戦い
失ったものを受け入れて生きて行かなければならない。
カメラに手をふった若者もいずれわかる時が来ると思うけど、
それを見てしまった私は悲しかったなぁ・・・
関西では有名な大学、もちろんその子達はある一部の子たちだったけど、
うちの子達はああいう態度はしないだろうな・・・何度も死とかかわってきたから・・・
死を考える事は生を考える事・・・一番つんくさんが言いたかったのはそこじゃないかと思うのは
私だけかな・・・。
とめずらしく時事ネタでした。
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