昨日、12月の誕生日で定年を迎える夫に、会社から大きな封筒が来ました。
中を開けると、表彰式と社長との会食の案内でした。
静岡の磐田、本社での表彰式のようです。
夫と最初に出会ったのは彼が25 私が19才の時でした。
まだ会社に入って2年くらいの時だったのですよね。
夫はバイクメーカーの営業、そして私はバイク屋の看板娘(自分で言う)
なぜか、そういうことになり、結婚する時は、転勤族にお嫁に行くのに、母は寂しさを押し殺して
認めてくれたっけ・・・
あれから35年
いまでこそ、自由にお休みとったりしていますが、若い時はしんどい仕事もせねばならず、
休日に朝4時から起きて行ったりしてたな。
山奥に行くときは、社用車にチェーンつけて走ったり、
トラックにバイクを何台も載せて
毎日何十キロ何百キロと営業に走っていましたね~
悩んだ末に辞めたいと言ったことがあり、
息子がまだ小さい時だったのでほんとは辞めて欲しくなかったけど、
「いいよ、辞めて。」と言ったこともあったっけ…
でも結局は辞めないでがんばってくれました。
夫の会社は夫が入ってから会社が赤字を出し、新入社員をとるんじゃなかったということで
会社の新入社員をいじめて辞めさせるという不条理な事があったり
長い会社生活の中では大きなリストラもありましたが、それに彼は引っかからずでしたが、
50人いた新入社員も10人残ってるかどうかという所だそうです。
長い単身赴任生活もあったし、本当に色々ありました。
男の人はね、大変です。
家族が路頭に迷わないように、何があっても船から降りる事は出来ない。
転覆しないように
命懸けで家族を守らないといけない。
雨の日も風の日もよく元気で勤めあげてくれたなと感謝の一言です。
この書類を見ながら走馬灯のようにいろんな光景がよみがえり
涙がボロボロこぼれてしまいました。
家族の為に、犠牲になったね、大変な時もあったけど、勤め上げるって本当に大変な事。
というと
「なんも・・・別に家族の為じゃない。仕事というのはそういうもの」
と照れ隠しだったのでしょうかね・・・・
表彰式は10月、12月の誕生月で定年です。その後も引き続き仕事は同じところに行きますが、
一応大きな大きな区切りです。
35年あっという間に過ぎました。
25歳の青年だった人が60才なんてね・・・
浦島太郎の箱をいつあけたの?っていう感じです。
幸い、子供の学費は終わりましたが、夫の両親は健在、私も母もいます。
この3人の年寄りにこれからいくらかかるのか
私たちの老後は決して安心ではないし。
ゆっくり縁側でお茶出来るのはいつの日か・・・
縁側ないけど(*_*)
ともかく、お父さん、ありがとう!
私の秘密を一つ。
夫を名前で呼んだことがない(爆笑)
そもそも男性を名前で呼んだことが無いのに
男子の生徒さんにはほぼ呼び捨て(笑)
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