音楽の先生

垂水の霞ヶ丘小学校に通っている生徒さんのオンラインレッスンの時でした。

「音楽会の曲ってなんなん?」

と聞くと「スカイハイ」

スカイハイ?ん?それをピアノで弾くと決まった子がいるけどなぁ

そうか・・・あの子とこの子は同じ学校の同学年だったんだ・・・。

と曲でつながりが解る事が時々あります。

だけど、それだけでなく、私は何ともその古い曲に驚きを隠せず

「古い曲だねぇ・・・(笑) だれぇ~選んだの(笑)」

というと

「ん~~きっと音楽の先生。梶田先生っていうの」

私「え?もう一回言って?」

「梶田先生だよ」

私「下のお名前は?」

「梶田 〇代先生」

 

・・・・・

驚きました。

もう10年以上前の事です。

うちに来ていた名谷小学校の子が、「音楽の先生の授業がとっても楽しいの」

と言った事があります。

そんな事言われたら、職業柄興味津々になるわけで

根ほり葉ほり 彼女から聞いたものでした。

その話で伝わってきたものは、その先生が子供達にわかりやすいようにと独自にアイデアを出して工夫をされているのがとてもよくわかる授業風景が見えました。

そして、その子が大きくなっても、妹ちゃんがその学校へ行き始めるとやはり同じことを言うのです。またその妹ちゃんも(3姉妹うちに来てくれてました。)

その姉妹の話の中には、いつも梶田先生の音楽の授業の楽しさも伝わってきましたが、

もう一つ、「また癌の手術しないといけないんだって・・・」

という悲しいニュースでした。

でもまた復活されたニュース・・・

そしてまた病魔に侵されて学校を休むというニュース・・・

何度も入院や手術を繰り返しながらも

学校に復帰されるんです。

多分、身も心もボロボロになってると想像できますが、それでも長い事休まれる事なく

職場復帰をされて子供達に音楽を教えておられたんです。

わたしね、そんな先生に会いに行ったことがあるんです。

子供達から愛されてやまない、そして先生も努力を惜しまない。

そんな素敵な方に会いに行きたくて・・・

そして、沢山お話をさせていただきました。

忘れえぬ思い出となりました。

だけど、それから3姉妹が小学校を卒業したので、

梶田先生が今どこにいらっしゃるのか、不明なままでした。

そして・・・実は、もしかしたらもう違う世界に行かれてるのかと

不謹慎にも・・・思っていたので、

そのオンラインの生徒さんから梶田先生のお名前をお聞きした時

涙が出ましたね・・・よかった!!ほんとに良かった。

まだ現役でお仕事されてるのが解って良かった。

年の頃は私と同じくらいだったと記憶します。

10数年前なのでお会いしたのはお互い40代だったと思います。

その時にはすでに何度も体にメスを入れられてたと記憶します。

何度病魔に侵されても立ち上がって元気に生きておられる。

それが解って勇気をもらいました。

 

人にはそれぞれ産まれてこの世での仕事をこなさないといけないそうですが、

その先生は、音楽と、勇気と、希望と、自分の仕事を一生懸命にこなすということと

病魔と闘って勝ち抜いていくという事が課せられたこの世の仕事だったのではないかと思うのです。

しんどかっただろうなぁ 辛かっただろうなぁ・・・

私なら耐えられない・・・。

歯を食いしばって何年も病魔と闘われたんだろうなぁと

想像しますが、たぶん私の想像を超えた壮絶な数年があったことは確かです。

 

元気になられた梶田先生と

またいつかお会いしたいと思います!!

 

 

 

 

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