神経衰弱で・・・

コードの本を始めたTちゃん

英語音名が苦手なのか本をしてきてくれません。

今日はお兄ちゃんと二人で来たので5分ずつレッスンを早めて

英語音名と日本音名を書いた紙をちゃちゃっと作ってそれで神経衰弱しました。

Tちゃんに少しでも取らせたいからと思ってわざと負けるような心意気で始めたものの、そこは大人げない私、ついつい真剣になりましたが

結局お兄ちゃんが一番で、私とTちゃんは同じ枚数しか取れず。

八百長をしなくても、記憶力は幼稚園児には完敗です。残念(笑)

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日お友達先生がザクロの写真をサイトにアップしておられました。

ザクロ・・・ほろ苦くて甘くて種ばっかりで(笑)でも薬効がある果実ですよね。

それを見て母の事を思い出しました。

母は食事に関してとてもうるさく、そして一生懸命料理を作る人でした。

美味しいものを家族に食べさせたい、いろんな食べ物があることを子供に教えるべく、楽しんで育児をしていた人です。

冬になると、みかん一箱は普通にいつでも鎮座してあり、母の好きな桃の季節は

買ってきて、ささっと冷やして上手に剥いてすぐ口に運んでくれていました。

魚は生きのいいものを買ってきて、自分でさばき、あらまで美味しく炊いて食べさせてくれました。

野菜も旬のものをたくさんいろんな料理にして食べさせてくれました。中でもそうめんウリは夏には最高でしたね。

寒い冬に学校から帰ってくるとぜんざいや甘酒がストーブかかっていて

夏には冷たいトマトや桃が冷やしてありました。

時には「活きのいいシャコがあったよ~」と大きなざる一杯に茹でてあったりして、それを兄と競って食べてたなぁ

また、あげドーナツを作ってましたね~、丸い揚げたてドーナツを砂糖を入れた紙袋の中に入れてシャカシャカして砂糖を上手にまぶしててました。

父の仕事を手伝いながら、そして母の仕事(着物を縫う内職)の合間は全て食べ物に費やしていたんじゃないかと思います。

私の好きなものはおはぎ、おはぎを作る時はお餅を入れる箱に何列も作ってあり、

兄の好きなモノはサバ寿司、これも沢山作ってあったなぁ

イカの塩辛、梅干し、漬物は当たり前のように手作り

ほんとに家庭を支え、美味しいものを食べさせてくれたなぁと思います。

それらは全て体の栄養ではなく、心の栄養、そして家族の思い出になったような気がします。

宮崎駿さんが、映画の中に必ず食べ物のシーンを入れたり、ハウルの城などは、カマドが動かないと家が動かないというカルシファーの意味

湯婆と銭婆との違い。専業主婦を何気に推奨しているような雰囲気があるのは

解るような気がします。

母は

果物も野菜も魚も旬のものをそしていろんな種類のものを食べさせてもらいました。ほんとに母には感謝しかありません。

私は半分くらいしか出来てないかな。。。

千と千尋の銭婆のような暮らしをしてきた母、おかげで私も食べ物にうるさくなり、そして子供たちもうるさくなりました。

夫が作るお味噌汁はイリコです。私はかつおと昆布で出汁を取ります。

我が家はずっとここの部分はこだわって行きたいなぁ
せめて・・これくらいは守って行きたい母の教えです。

あ・・・ちなみに母は元気です(笑)

 

 

 

カテゴリー: レッスン日記 | コメントする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA