86歳の母

車で10分くらいの所に住んでいる母は、脊椎狭窄症が少しずつひどくなり

今は一人で7メートルくらいしか一度には歩けません。

一人で出かけるのは近所の病院くらい・・・休み休み行っています。

となると、買い物などは私が連れて行ったり、私が買って来たりするわけです。

頼む方は好き勝手に注文します。(*’ω’*)

「パンツとぉ~トイレ掃除の洗剤とぉ~アイスとぉ~買ってきて」

これね、実は全部別のお店に行かないと揃いません。

私も自分の家の買い物、仕事もあり、おまけに自分の体もこの夏はしんどかったぁ・・・

買い物に連れて行くと、母の時間軸で動くものだから、私は焦るばかり・・・。

 

ゴミも持って降りれないという事で私が出しにいかないといけないんだけど、

この間も熱が出たときに、ゴミ・・・玄関に置いといて・・・と頭が痛いのを我慢しながら、行きました。

こういう事が今年の夏続きました。

私もしんどいから、と お弁当の注文が出来るようにしよと言いました。

そういう書類を書くのも電話も私がしないといけません。

それでも命綱なのでね、もし私が突然コロナで倒れたりしたら大変です。

今自分に出来る事は母の命綱を作る事でした。

お弁当頼もうよ・・・

「いやいやヤマダストアーが美味しい。」

というので、ヤマダストアーばっかり連れていけないよ。遠いのに・・・

というと「仕事を辞めたらいい。弁当なんてまずくて食べられない。」と・・

 

生活クラブ・・。私が入ってるので母も入るように言いました。

「人が勝手に持ってくるものは モノが悪いから嫌」

そりゃ食べる事が好きで吟味するのもわかるけど、

私が突然倒れたらどうするん?

私が突然入院したらどうするん?

私が突然死んだら・・・どうやって生きていくん?

私ばっかり頼らんと自分で出来る事はしないと・・・。

というと、あんたが面倒みるのは当たり前。子供だもん。どんだけ可愛がった?

と・・・

 

こんなことをいうような人では無かったんです。

自分で誰にも頼らず生きて見せる。

あんたもお兄ちゃんのように先に死ぬかもしれんから、あてになんてしてないわ。

 

兄が亡くなった時も父が亡くなった時も涙も見せず、気丈にふるまっていた母なので

そう生きていくんだろうなと思っていました。

それなのに、自分の身体が辛くてそんなことを言っていられなくなったのでしょうね・・・。

というわけで、無理やり、お弁当の注文と生活クラブのお兄さんに食材を運んでもらう事にしました。

 

甘えられても私が元気なうちはいいけどね・・

でもわがまま炸裂で私を頼っている事に疲れて

「誰にも頼らんって言ったじゃん!!」

というと、そこで言った母の言葉

 

「あの時はわからんかったの!!年を取るという事が!!

だって、年寄りになるのは初めての事なんだもん!!

こんなことになるなんて想像できんかったわ!!しょーがないじゃん」

 

と・・・(笑)

86年生きて来ても、初めての事はあるものなんですよねぇ(笑)

年を取るのは初めての経験だと・・・

まぁ確かにね。

 

若い頃から小太りで、今ではすっかりハウルの動く城に出てくる最後のシーンのおばあさんみたいになっています。

ウエイトコントロールもしないで、食べたいものを食べて来たので、少しずつ狭窄症も悪化したのではないかと思います。運動もしてないし。

足腰を鍛えないと、口が達者でも体が言う事を効かない老後になります。

内臓は元気なんですけどね、足腰が弱くなるともう運動もそこからはなかなか難しいですしね・・・

好きな所にも自由に行けないということがどれだけ生活の楽しみをさまたげているか・・・。

そんな母をみて、私は怖くて運動しています。💦

母のように長生きしないとは思うけど(笑)

 

ピアノ教室とは全く関係ないお話なので

こんなことを書くなんてね~と思ったけど

年をとるとどうなるか、なんて・・・本当にそうなってみないと解らないので、

少しだけ老後の事を覗いてみるってタメになりませんか?

 

ちなみに、母の年金は月11万で、要支援2の人が入れる施設は安くても月20万くらいです。

母のような人が入ると食べ物にうるさくて満足できる食事は期待できないし、

何も考えなくてもいいので、痴呆が進む人が多いそうです。

要介護(ほぼ車椅子だったり、痴呆が進むと要支援から要介護になります)

になると、そういう施設にお安く入れますが、最後の砦ですよね・・・。

 

明日、どうなるのかは誰にもわかりません。

父が亡くなって30年・・・母は一人で暮らしています。

人間ってわからんもんやね・・・。

 

30歳違いの母と娘の日々・・・さて、今後どうなっていくでしょうね~💦

 

エリザベス女王の年齢まで生きるとしたら、あとちょうど10年

私があとに逝くなんて保障は無いのでね。

一緒にも暮らせないし、お金も出してあげられない。(お小遣いくらいは渡せるけど)

 

こういうのが老々介護っていうんですよね。

 

こういうお年寄り・・・多いんだろなぁ

あ・・・いたいた・・京都にも一人(*’ω’*)

あたまいた・・・

年を取ったらどう生きていくか・・・若い頃から考えないといけません。

ムズカシイ・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

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