娘が5月9日、私が6月30日が誕生日で、今年は二人とも免許証の更新年ということで一緒に行ってまいりました。(笑)
娘は一週間に一度出社で後はオンラインで仕事をしているので、パソコン抱えて。
そして途中は仕事ぬけます。という事を会社に言うと、その分遅くまで仕事をすればいいらしく、お休みを取らずに行きましたが
彼女はほぼ運転しないので、30分講習
私は、2時間講習(-_-;)
次はまた3年後ですって・・・1日つぶれた・・・💦
さて、レッスン話。
どうやったら子供が練習するかという事は皆さん悩みの種ですよね。
親が教えた方が良いのか、何も言わない方が良いのか・・・
とかね。難しいですが、その子その子の性格も大いに関係あると思いますね。
じゃ、私はどうだったのかと言うと、練習しなさいなんて言われた事は無いんです。
してたから・・・(笑) 弾けるようになるのが嬉しくてだと思うのですが・・・
2階に置いていたので、母はそれをずっと着物を縫う仕事をしながら聞いていました。
間違っていても、ん?なんかおかしい?というレベルしかわからないので、「そこ間違ってるよ」とはならないわけで、黙っていましたが、
「今の曲は優しくてきれいな曲だねぇ」とか
「あの曲はどういう曲?おかあちゃん好きだわ」
そんなことを言っていましたね。子供は何となく親が聴いてくれている。
興味を持ってくれている。という事はわかるんですよね。
じゃあ、綺麗な曲というのならもっと綺麗に弾いてみたらどういってくれるんだろうと思うと、どうやったらもっと綺麗に弾けるんだろう。と自分で研究するわけです。
で、思ったような演奏が出来ると自分でも楽しかったなぁという事を覚えています。
でも時々 負の連鎖に入ってなかなか上達しない時、自分でも悔しくて泣くわけで、
そうなると、私が親なら「そんなに出来ないのなら辞めてしまえば?」と声をかけてたかもしれません。なぜなら、小さな頃からピアノを弾くのは当たり前で、それが弾けなかった自分と習って弾けるようになった自分が比較できないから。
母は、「同じ10本指があるんだから人に弾けてあんたに弾けないことは無い」と言ってましたが、確かに!と思い、タオルを首にかけ泣きながら弾いていましたね。
それでも出来るようになった時は嬉しくて、小さな達成感の積み重ねの日々でした。
これはずっと大人になっても続いてて、40代の時に付いていた先生はちょー怖い先生で、「今 目の前で弾いて。ここで弾かなかったら家で練習したって弾けないよ」
と恐怖の初見レッスン、間違えたら「良かったね、僕が椅子をけらない先生で」と・・・
帰ったら脳がものすごく疲れて自然に涙が出ていましたね(小さい頃と同じかい)
涙活という言葉がありますが、ストレス解消には体から水分を出すといいようで、涙とかね、汗とか出すと良いんですって。それを自然にやってたんですね(笑)
こんなの弾けるわけないじゃんというような宿題もありましたが、子供の頃に小さな達成感を積み立てて来た実績というのでしょうか
え?やれば出来るんだ・・・と・・40過ぎて思った事が何度もあったレッスンでしたね。
今はね、なんだか料理する時も何かする時も、マルチタスクがすごいと痛感しています。あれをしながらこれをして、違う事も考えながら他の事もする。
まるで『釜じい』
ピアノで脳を鍛えたという事は、この歳になっても、生きているという事、まぁそれは実際に今でも弾いてるからなのかもしれないけど(笑)
明らかに、今、小さい頃からピアノを習って良かったと実感しています。
こう書くと自分のピアノ教室の宣伝のように聞こえますが(笑)
今はほとんど空きが無いのでそうではないんです。
ピアノを習った事ではなく、ピアノを練習した事。
が、私がもし習っていなかったとしたら、きっと人生が変わってただろうなと思えるからです。
どうやって我が子を練習する子に育てるかはとても難しい事かもしれないけど
親御さんがちょうどいい距離感で、興味を持つ事。子供さんにお母さんにも教えて・・・といってわざと間違えたりするのも、親が出来ない事を自分が出来るんだという優越感に浸れて楽しいと思ってくれるかもしれないし、
お母さんこの曲好き。の一言で、もっと工夫してもっと親を感動させようという気になってくれるような
言葉がけ・・・が大事なのかもしれません。
肯定、応援。が何よりの栄養になるかもしれませんね。
コメントを残す